2013/11/18 月曜日

高梁健康まつり会場で98回目の共同行動 市民57人から憲法9条守ろうの署名 (0 Comments)

Filed under: よろず記録帳 — seibu-tiku @ 9:41:27

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高梁9条の会は1115日、高梁総合福祉センターで開催の医療生協「高梁健康まつり」(高梁市後援)の会場で、憲法9条を守る対話・署名を訴える98回目の共同行動を行いました。

会場内に設けられた署名コーナーでは、会員が、まつりの手伝いと舞台を楽しみ

高梁9条の会は1115日、高梁総合福祉センターで開催の医療生協「高梁健康まつり」(高梁市後援)の会場で、憲法9条を守る対話・署名を訴える98回目の共同行動を行いました。

会場内に設けられた署名コーナーでは、会員が、まつりの手伝いと舞台を楽しみ ながら交替で訴え、57人の市民から署名が寄せられました。

これで高梁9条の会へ市民から寄せられた署名数の累計は9690人。有権者過半数の68%になりました。

映画「ひまわり」上映会に245人 「基地沖縄」の現状よくわかった 心は一つ (0 Comments)

Filed under: よろず記録帳 — seibu-tiku @ 7:44:39

高梁9条の会主催の映画「ひまわり~沖縄は忘れないあの日の空を」の上映会が1027日、高梁総合文化会館で行われ250 人が来観。

会場出口では「ええ映画じゃったなぁ」「涙がでたぁえ」と話す人、会の役員へ「誘おぅてもろうてありがとう、よかったでぇ」と声をかけ合うなど、多くの明るい表情がありました。

75人がアンケートに協力

大変よかった☆49

よかった☆25

アンケートには、75人もの多くのみなさんから

回答が寄せられ「大変よかった」と「よか

った」と答えた人が圧倒的多数の74 人でした。(「どちらとも言えない」が1人)

寄せられた映画の感想

沖縄の日常生活の大変さや事故・事件のつらさがよくわかりました。泣けました。

沖縄の現状をもっと知らなければと考えさせられました。

沖縄の人の気持ちが伝わってきてとても感動しました。

もし、高梁の上空が沖縄と同じだったら・・・と深く考えさせられました。

沖縄を中心に日本全国に他国の軍事基地があるのはおかしい。大本になっているアメリカとの軍事同盟をなくする世論をつくることが大事では。

世代を超えた映画でした。気持ちは一つです。

悲しい戦争のことを決して忘れてはいけないことに気づかされました。

悲しいなかにも、若者たちの平和を受け継ぐ行動を見て感動しました。

主題歌 ・ 音楽がよかったです

いま沖縄がかかえている問題は何か、よくわかりました(中学生)。◇最後までクギづけでした(高校生)

※高梁市に転入された沖縄県出身

の方の舞台挨拶に感動しました(挨拶の要旨を裏面に掲載しています)


高梁9条の会への意見・感想

大変よい活動です。これからもぜひ続けてください。

毎月行動に頭が下がります。9条は絶対に守らなければ。がんばってください。

日頃の活動に感謝してます。

いまががんばりどころです。

【ご協力ありがとうでした】

※当日は、会への加入があり、署名も寄せられました。

【裏面】

映画「ひまわり」上映前に、今年4月から高梁市民になられた

      沖縄県出身の斉藤幸子さんにご挨拶をお願いしました。

その要旨を掲載します。

みなさん、はじめまして。斉藤と申します。

私の出身は沖縄県石川市(現在「うるま市石川」)です。映画「ひまわり」で映し出される大惨事の事故現場の宮森小学校を卒業しました。

私は、宮森小学校に米軍のジェット戦闘機が炎上しながら墜落した年(1959年初夏)の秋に生まれました。子どもの頃、あの大惨事で、休み時間に遊んでいた多くの子どもたちが亡くなったこは、誰からともなく聞いて知ってはいました(児童12名、住民6名が死亡、負傷者210)

そして、従兄弟にあたる子が犠牲になったことや、その子の名前が「よしたけ」君だったこと、また私の義理の兄弟もその現場にいながら命が助かったことなどは大人になって知りました。

以来、この事故がとても身近になり、伯父や伯母、そして従兄弟たちの悲しみ、苦しみ、そして怒りや恐怖はいかほどだっただろうか。その日からの悲しみの日々を思うと、子を持つ親として察しにあまるものがあります。

◇          ◇        ◇

沖縄には、怒りの対象となる米軍基地が、いつも生活のすぐ隣にあります。

私の子どもの頃の記憶には、石川の白い砂浜の広がる海沿いを見下ろす高台に、豪華な米軍の家族専用の住宅が建ち、週末になると専用のプライベートビーチで家族がバーベキューパーティ・・・。その一帯は金網のフェンスが張り巡らされ、入口にはライフル銃を持った警備兵が常時こちらを向いて立っていました。バーベキューのおいしそうな匂いと楽しそうに騒ぐ声が聞こえてきます。

フェンスのこちら側では、何人かの女性が大きな麻袋を引きずりながら、食べ残しのお肉を投げてもらうのを待っている姿がありました。バスでその場所を通るたびに、子ども心に何ともいえぬ心境になっていたことが思い出されます。なぜ、同じ人間なのに殺されても文句が言えず、植民地同様の扱いを受けなければいけないのだろうか?

◇          ◇        ◇

これは基地のある県だけの問題ではないと思います。

オスプレイの飛行が始まると、日本国中の人が、いつか自分や大切な人が危険にさらされ犠牲になるかもしれません。そして憲法が変えられ、戦争しやすい国になることは、どの国からも攻撃を仕掛けられる危険な国になることではないでしょうか。

私はこの国が大好きです。そしてわが子は自分の命よりも守りたい大切な命です。これはみんなの共通した思いです。その大切な子ども達の幸せのために、私たち大人が手をとり合って平和を求め、どの国にも支配されない自立した国にならなくてはいけないと思います。

私は、ご縁あってこの高梁市に移り住みました。次々と心優しい方々と出会い、この景色と空気と匂いすべてが好きになりました。

まだまだわからないことがたくさんあります。皆様にひとつひとつ教えていただきながら、ご一緒に子どもたちの未来のために歩んでいきたいと思っています。どうぞよろしくお願い致します。

ありがとうございました。                  (2013.10.27)