普段は穏やかな志津川湾ですが地震による津波で多くの人をのみ込みました!
5日の夕方、新幹線と在来線を乗り継ぎ宮城県南三陸町に入りました。
陸前戸倉駅などJR気仙沼線は壊滅的被害を受けていて、バスでの代替区間があります。「JRの復旧は極めて困難」、バスの運転手さんの話です。
6日、高台にある南三陸町ボランティアセンターに行きました。連休最終日ということもあり、ボランティアは前日に比べて少ないとのことでした。
支援に入ったのは、泊漁港。午前中はメカブの切り落とし作業。午後からはワカメの仕分け作業でした。以前は近所の人が集まり作業をしていましたが、震災後仮設住宅に入っている人も多く人手がなく支援を求めているとの事でした。ここでのボランティアさんは学生さん、広島、長野、大阪からの社会人などで楽しく会話しながら、慣れない作業をしました。
漁師さんは、「この地域は海で稼いできたが、皮肉にもその海で甚大な被害を受けた。今も海はきれいだが震災前はもっときれいだった」と話します。
今は現地の人も、またボランティアの人もとても明るく、私自身も元気をもらいました。
お昼には、ワカメのしゃぶしゃぶをいただきました(主食は持参)がとても新鮮でした。
4時前にはボランティアセンターで報告。その後宿泊先まで、1時間少々南三陸の中心街を歩いて帰りました。中心街といっても今はほとんど何もなく、瓦礫こそ少ないのでしょうが、震災の爪跡もいたるところにあります。
あの防災庁舎にも立ち寄りお線香をお供えさせていただきました。
テレビの映像や新聞の写真だけでなく、実際に現地を見たことも収穫でした。
漁港のお母さんの「ありがとう!またどこかで出会いましょう」という言葉が印象的でした。