井原夏まつり
6日(土)午後7時より井原駅前通りで「第37回 井原夏まつり」が21の踊り連の1200人が参加して行われました。私も井原市議会の踊り連(写真左)として参加しました。踊り連のメンバーは、スピーカーから流れる備中ホイサ、やとさ、井原音頭、井原音頭カーニバルバージョンの曲に合わせて元気良く踊り気持ちのいい汗を流していました。沿道では、市内外から多くの人が来られていましたが、知っている方が踊っていると、声をかけていました。午後8時40分ごろまで踊り、表彰式が行われ、午後9時過ぎにはすべてを終わりました。表彰連は次の通り。最優秀賞・・・一般の部 井原市婦人協議会 同賞・・・フリースタイルの部 日本舞踊 若柳流 孝弥会。優秀賞・・・コスモスの会、井原市役所スーパーダンサーズ、西江原公民館。特別賞・・・井原手話サークル、KASEN会、井原民族舞踊研究会、タカヤグループ踊り連。今回新たに設けられた実行委員長賞に・・・団体では いばらっ子隊、自由参加連の個人では 細羽強さんが受賞しました。7時からの総踊りの前に「備後ばらバラ よさこい踊り隊」のすばらしい踊り(写真右)が披露され大きな声援を受けていました。
きょう広島被爆66年 *しんぶん赤旗6日付け日刊紙の「主張」
きょう(6日)午前8時15分広島に原子爆弾が投下されて66年になります。午前8時から広島平和公園で「平和祈念式典」が開かれました。午前8時15分には1分間の黙祷が行われ、私と妻もテレビの前で黙祷しました。松井広島市長の「平和宣言」(写真)で、市長は被爆した人の言葉を盛り込み、その志を受け継ぐ決意を明らかにしました。また、核兵器廃絶を訴えると同時に、福島原発事故の問題を採り上げ、エネルギー政策の見直しを具体的に進めるよう求めました。このあと小学6年生の男女児童が「平和への誓い」を読み上げ、菅総理大臣が挨拶をしました。
「主張」・・・広島・長崎66年 核兵器廃絶、被爆者援護求め
アメリカが広島と長崎へ原爆を投下してから66年を迎えます。
都市を焼き尽くし大量の市民の命を奪った原爆投下は国際的に許されない犯罪です。被爆者はいまなお放射能の被害に苦しんでいます。東京電力福島原発事故で放射線の被害に不安が高まるいま、核兵器廃絶とともに被爆者援護・連帯をかかげてきた原水爆禁止運動の意義が大きくなっています。
いまなお続く被爆の被害
1945年8月6日と9日、広島と長崎にそれぞれ投下された世界で初めての原爆の爆発と爆風、熱線、さらに原爆特有の放射線は、一瞬のうちに二つの都市を破壊し、その年のうちに20万人以上の命を奪いました。助かった人や救護のため入市した人たちも放射能の被害を受けがんや白血病などにおかされ、死の恐怖と向かい合う毎日を強いられています。 続きを読む »
信号機の柱の影
きょう(5日)も朝からかんかん照りの一日が始まっていました。今朝の定時定点の宣伝は、木之子町の馬越橋南詰めの交差点でした。太陽は午前7時には高く上がり、ジリジリと暑い日差しが容赦なく左側から照り付けていました。と書くと、さぞかし暑いだろうなーと思われるでしょうが、さいわいここは信号機のある交差点で、信号機の柱が4本立っています。毎回立っている位置に写真のようにちょうど柱の影ができていました。この影に入ると私の体がスッポリ入り込みます。したがって1時間のあいだに柱の影が移動するので、それに合わせて少しずつ立つ位置を変えて影に入ると、わりと涼しく過ごせます。ですからこの場所は今の時期の太陽の位置から言えば大変ラーキーな場所と言えるでしょう・・・・・。ちなみに市内6箇所の定点の中では、ただ一箇所ここだけ影があるところです。あとは1時間日光浴(?)をしながらの宣伝になります。おかげで顔や両手は真っ黒に焼けています。写真は、面白い光景なので思いついて携帯で撮影したもの。一番下は催しを案内する看板がくくられていて四角の影ができています。その上側の両側に少し出っぱっているのが写真を撮っている私の両腕です。
清水白桃
先日の「白鳳」に続いて今回は「清水白桃」(写真)を倉敷市玉島陶の桃農家から買ってきました。我家での食べ量ということで、贈答用のように上等なものではありませんが、糖度は高く大変美味しいものです。今年はこれで終わりにしますが、「来年もよろしくお願いします」と言って買って帰りました。
「きずな」の印刷と仕分け
きずな No.846(8月4日)
きずな No.846(8月4日)ができました。
7月の入札は50件ありました。7月は公共下水道工事関係の入札で、制限付一般競争入札による入札金額も高いものが多く、今週・来週・再来週の3回にわたってその一部を紹介いたします。