「北の国から」などを手掛けた脚本家の倉本聰さんが終戦前後、浅口市金光町大谷に疎開していた事実を多くの人に知ってもらおうと、「倉本聰金光ファンの会」がゆかりの場所に説明看板を設置していおり見に行きました。
看板には次のような倉本さんの文章が紹介されています。「当時の小学校5年生で、初めて1年に入学した妹をつれ、30分ほどの道程を吉備校舎といはれた国民学校に通ったのだが・・・僕にとって何といってもこの山村の1年は強烈新鮮な記憶となってやきつく」。
金光での体験が「北の国から」の原点になったことなども解説されています。
私の実家は大谷で、疎開地の近くにある寂光院はよく来ていました。