2011/10/29 土曜日

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Filed under: よろず記録帳 — seibu-tiku @ 16:15:12

宮古地区へのボランティアに10月21日発、24日着の4日間で行ってきました。私、古松と、総社東支部から昨年入党されたTさんが参加しました。
 西部地区からは、支援物資として米90キロ・野菜・毛布・冬着などを積んで行きました。
 22日早朝に宮古市に入り、23日との2日間の活動でした。8時過ぎに地区委員会事務所に到着。少々早かったと思いきや、事務所では地区委員会総会が始まっていました。現地オルグの東田さん、前日に宮古入りしていた岡山地区の2人と合流し、現地の状況とともに行動予定を打ち合わせました。
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1枚目、2枚目 戻ってきた120tクラスのさんま漁船など説明を受けました。 3枚目 段差は地震で地盤沈下したもので40㎝下がりました。  

 この半年余りの期間で、宮古市では瓦礫の撤去など災害復旧作業はすすみつつあり、生業など復興計画を、それこそ第3次提言の内容ですすめていく、第1次産業、漁業に力を入れているとのことでした。同じく津波被害から復興した北海道・奥尻の経験を学び、箱ものに頼らず、国の責任を追及していくとのことでした。生活再建については、仮設住宅へは希望者全員が入ることができ、環境整備、特に冬が越せるように支援するとともに、早めに復興住宅や、元の家の建て直しなどを支援していきたいと話していました。その生活再建で宮古地区として一番問題になっている点は、仮設入居者と在宅被災者の支援の格差です。当然全てを失っている仮設入居者への支援が手厚くなるのはわかりますが、あまりにも在宅の被災者への支援が公的にも、また、日赤などからもないという声が上がっているそうです。こうした声にこたえて10月からは、物資などは「青空市」と名付けて重点的に在宅被災者の多い地域で開きながら支援していく方針をとっています。すでに鍬ヶ崎・磯鶏地区での「青空市」を開催し、年内に(雪が降る前に)全地区での開催をめざしていました。
 なので、1日目の活動は、前の週に行われた「青空市」で、物資の予約をしていた方々へのお届けと要求を聞きとる活動でした。磯鶏(そけい)地区での「青空市」では、参加者の多さに物資が間に合わず、名前と住所、電話番号を書いてもらって「必ずお届しますので」と伝えていましたので、お届けしたお米をさっそく分けて、配布先を地図に落とし、午後いっぱいかけて2隊で20件余りを訪問しました。
 雨の中、「本当に来てくれたの」と驚きと感謝をされるとともに「本当に家にいる人には何もしてくれないの」と要求を聞いたり、見本紙や提言(被災地向けの手引き)を渡し、原発ゼロ署名への協力を呼びかけました。20筆ほど署名も集めました。国道で信号機が復旧していない状況なども伝えられていました。
 dscn0358.JPG dscn0362.JPG 準備とお届けの様子。「岡山のお米ははじめてなの」と喜ばれました。

雪が降る前に全地区での開催をめざしていました。 なので、1日目の活動は、前の週に行われた「青空市」で、物資の予約をしていた方々へのお届けと要求を聞きとる活動でした。磯鶏そけい地区での「青空市」では、参加者の多さに物資が間に合わず、名前と住所、電話番号を書いてもらって「必ずお届しますので」と伝えていましたので、お届けしたお米をさっそく分けて、配布先を地図に落とし、午後いっぱいかけて隊で20件余りを訪問しました。 雨の中、「本当に来てくれたの」と驚きと感謝をされるとともに「本当に家にいる人には何もしてくれないの」と要求を聞いたり、見本紙や提言(被災地向けの手引き)を渡し、原発ゼロ署名への協力を呼びかけました。20筆ほど署名も集めました。国道で信号機が復旧していない状況なども伝えられていました。 この半年余りの期間で、宮古市では瓦礫の撤去など災害復旧作業はすすみつつあり、生業など復興計画を、それこそ第3次提言の内容ですすめていく、第1次産業、漁業に力を入れているとのことでした。同じく津波被害から復興した北海道・奥尻の経験を学び、箱ものに頼らず、国の責任を追及していくとのことでした。生活再建については、仮設住宅へは希望者全員が入ることができ、環境整備、特に冬が越せるように支援するとともに、早めに復興住宅や、元の家の建て直しなどを支援していきたいと話していました。その生活再建で宮古地区として一番問題になっている点は、仮設入居者と在宅被災者の支援の格差です。当然全てを失っている仮設入居者への支援が手厚くなるのはわかりますが、あまりにも在宅の被災者への支援が公的にも、また、日赤などからもないという声が上がっているそうです。こうした声にこたえて10月からは、物資などは「青空市」と名付けて重点的に在宅被災者の多い地域で開きながら支援していく方針をとっています。すでに鍬ヶ崎・磯鶏地区での「青空市」を開催し、年内に雪が降る前に全地区での開催をめざしていました。 なので、1日目の活動は、前の週に行われた「青空市」で、物資の予約をしていた方々へのお届けと要求を聞きとる活動でした。磯鶏そけい地区での「青空市」では、参加者の多さに物資が間に合わず、名前と住所、電話番号を書いてもらって「必ずお届しますので」と伝えていましたので、お届けしたお米をさっそく分けて、配布先を地図に落とし、午後いっぱいかけて隊で20件余りを訪問しました。 雨の中、「本当に来てくれたの」と驚きと感謝をされるとともに「本当に家にいる人には何もしてくれないの」と要求を聞いたり、見本紙や提言(被災地向けの手引き)を渡し、原発ゼロ署名への協力を呼びかけました。20筆ほど署名も集めました。国道で信号機が復旧していない状況なども伝えられていました。
 2日目は、津軽石地区での「青空市」でした。盛岡地地区委員会から16名の応援とともに物資も運ばれ、準備をしました。事前にビラ200枚を配布して告知をし、米・醤油+野菜どれか(大根・ネギ・じゃが芋・人参)を150セット、湯たんぽが50個、カイロや衣類、布団・暖房器具などを準備していると、1時間前からすでに人が並び始め、開催時には200名を超えていました。並んでいる方々にも署名をお願いすると快く書いてくださり、「ゼロですよね、撤廃ですよね、なくさなきゃいけません」と96筆の署名も集まりました。あまりに多い参加者に、「いきわたらなかったら…」という不安もありましたが、事前にハンドマイクで案内・説明をして、全世帯にはいきわたっていたそうです。用意していた物資はほぼすべてなくなりました。支部の方が大きな荷物は家まで運んだり、声をかけていろいろと状況や要求を聞きとっていました。暖房器具や布団などは数が足らず抽選でしたが、はずれた人が当たった人に「よかったね。必要なところにいったのがよがった」と喜び合っていたのが印象的でした。

 また、宮古地区では再開し始めている商店や業者にも配慮して、味噌と醤油などは盛岡からではなく、募金などで地元業者に発注をしていました。

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青空市の様子。200名以上の大盛況

 2日目は、津軽石地区での「青空市」でした。盛岡地地区委員会から16名の応援とともに物資も運ばれ、準備をしました。事前にビラ200枚を配布して告知をし、米・醤油+野菜どれか(大根・ネギ・じゃが芋・人参)を150セット、湯たんぽが50個、カイロや衣類、布団・暖房器具などを準備していると、1時間前からすでに人が並び始め、開催時には200名を超えていました。並んでいる方々にも署名をお願いすると快く書いてくださり、「ゼロですよね、撤廃ですよね、なくさなきゃいけません」と96筆の署名も集まりました。あまりに多い参加者に、「いきわたらなかったら…」という不安もありましたが、事前にハンドマイクで案内・説明をして、全世帯にはいきわたっていたそうです。用意していた物資はほぼすべてなくなりました。支部の方が大きな荷物は家まで運んだり、声をかけていろいろと状況や要求を聞きとっていました。暖房器具や布団などは数が足らず抽選でしたが、はずれた人が当たった人に「よかったね。必要なところにいったのがよがった」と喜び合っていたのが印象的でした。 また、宮古地区では再開し始めている商店や業者にも配慮して、味噌と醤油などは盛岡からではなく、募金などで地元業者に発注をしていました。

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 今回、初めて参加された総社・T同志の感想です。


行くまではどうなっているのか、ひどさばかりが報道されている中で心配していました。実際に見て、その思いが強くなりました。2日目の「青空市」の取り組みで、また、宮古の人たちと話す中で、悲しみを乗り越えた“強さ”と“やさしさ”を感じて、こんなにも感動した「ありがとう」は聞いたことがなかった。思わず「こちらこそありがとう」と返した。勇気と元気をもらったし、そんな人たちに希望を与えている共産党の活動に参加できたことがとても良かった。本当に貴重な経験をさせてもらった。
 今回、2回目でしたが、前回は6月、3か月たった時でした。当時は瓦礫こそ取り除かれて「きれい」にはなっているという印象でしたが、今回まず感じたのは人々の営みが少しずつではありますが、戻ってきていることでした。魚市場には今が旬のサンマが水揚げされていました。例年より量こそ少ないとのことでしたが、1日で150tの水揚げ量です。製氷機の復旧、船の調達など不十分ながらすすんでいました。なによりも前回道路を通っている車はほとんどが自衛隊か警察車両、またはトラック・ダンプでした。バスも走っていましたし、乗用車が多くみられました。再開している店も多いです。
 ただ、田老地区など流されてしまったところは依然そのままの空き地です。「復興」と言ったときにはまだまだ時間のかかることだと感じるとともに、その間の生活支援は続けていかなければいけないと感じました。(古松)

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10月現在の田老地区の様子と壊されたままの堤防