2011/6/28 火曜日

岩手県宮古市へのボランティア派遣手記

Filed under: よろず記録帳 — seibu-tiku @ 19:24:36

 6月16日出発で、岩手県宮古地区へのボランティア派遣に行きました。3名で朝から出発し、車で向かいました。高速道路には警察車両が列をなしてひっきりなしに通り過ぎていきます。東北道に入ると、補修の跡が目立ち、道路がうねっているのが分かります。現地宮古地区委員会には、翌日昼に着きました。

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紹介を受けた後に、先発隊の岡山地区や島根県のボランティアの方と合流し、赤前地区にある仮設住宅へ、支援物資を届ける作業を手伝いました。ここには前の週に森脇・氏平県議が入って要望を聞いて回ったところです。地区から持って行ったカレンダーも間に合いました。前日に「全国から届いた支援物資を届けます。要望も聞きますので○○時に伺います。米・水や衣類、食器など」と簡単なビラもまいていたこともあり、着いた時にはすでに人がよく集まっていました。持って行った車一杯の物資はあっという間になくなり、特に衣類ではジャージが「部屋着で使える」と好評でした。要望もよく出てきました。「結露がひどくて」「電気代が自分持ちなので、エアコンはあるけれど扇風機が要る」「ミシンや乾燥機など各家庭でなくても、この仮設団地に何台か欲しい」など。特にこの赤前地区は、「小学校区全域が流された地区で、商店はなく、再開された、また被災を免れたスーパーなどへは車でも20分かかる場所にあるので、お年寄りはもちろん、車も全部流された人たちにとってはとても苦労している」との話もききました。 

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 街の様子は、意外と整然としています。宮古市は比較的がれきの撤去がすすんでいて、車や船はもちろん、土台をのぞいてほぼ何もない状態にしてあります。海岸の国道を走ると全ての湾の集落が全部そんな状態でした。防潮堤はすべて乗り越えられていて壊れています。あちらこちらに仮設住宅ができ、一見すると復旧が進んでいるように見えますが、物資は本当に足りません。コミュニティ全部(店舗など)がまるごと流され、避難所や仮設住宅にいる方は特に買い物難民、物資不足になっているとのことでした。特に仮設住宅に移った人から一様に、「援助が打ち切られる」という相談があるそうです。 

岡山から持って行った物資はトラック一杯でしたが、1週間でほぼなくなっていました。新たな要望もさることながら継続的な支援が求められます。米や食糧はまだ要望が来るだろうと言っていました。食器も仮設住宅の建設がすすんでいる中で足りません。ご協力をお願いします。 

 宮古地区に入った当日、初めてであろう漁がおこなわれて船が漁港に入っていました。市場ではセリも始まりました。養殖など、復興が一向にすすまない問題も多々ありますが、現地の方はがんばっています。また、岩手でも牧草から放射性セシウムが検出されるなど原発の影響が出てきています。青森六カ所村からは200キロで、特に海への汚染に関心が高かったです。また、島根原発のことを逆に心配をしてくれました。(同日に島根・出雲のボランティアが入り、同行しました

 宮古地区の田中地区委員長さんは市議です。また、復興特別委員会の委員長も務められるなかでさまざまな提案を第2次提言をもとにして、実現しているものもあります。仮設住宅について、ほぼ100%集落ごとの入居ができているそうです。帰途に、海岸線を南下し、釜石市まで状況を見ながら走りましたが、山田町、大槌町、釜石市と瓦礫や車の残骸、打ち上げられた船など放置されていたり、衛生的にも泥も出されずに腐臭もしているさらに悲惨な状況でした。やはり、党勢の大小が復興のスピードに反映されているということも、改めて実感しました。 

 

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